移動させる事で成り立っている社会
今の世の中は、人、物、金を移動させることで成り立っている
常に何かを移動させ続けている近代。
むしろ、大きく移動させなければ成り立たないところまで来てしまっているとも感じます。
なぜそう感じるのか?
例えば、農作物や肉、魚などを採れた自国では食べず、遠く離れた国へ輸出する。
多くの生命営む山を爆破し、巨大な機械で掘り起こし、石や土や希少とされるものを
せっせと他国に売り渡す。
移動にステータスがあるように「人々を思い込ませる」ことで、
捏造された喜びを感じるようにしむけ、
飛行機や列車などを、一日中動かし続ける。
現代を生きる人々にとっては、一見当たり前のこういった、動き。
ことさら「便利さ」という便利な言葉で装飾され、「あって当然」の事と信じられていることでしょう。
人々はなぜ、こんなにも移動させるのでしょうか?
それは人や物が動けば、それ伴ってお金も動くからに他ならなりません。
みんな、目の前をお金が通ってほしいから
そう。みんなお金が目の前を通ることを必要とし、お金に目の前を通ってもらうための移動を必要とするのです。
「本当に必要か」どうか確かめもせずに、
もっと早く、もっと多く…
運搬するものに変化を与えないように、傷つけないように、少しも責任を取らなくていいように…
尋常ではない多大なエネルギーや資源を使い、地球環境を破壊してまで、延々と移動させ続けるのです。
止まれなくなっているのです。
お金が存在しない世界になっても
あなたの行っているその「移動」、本当に必要なことでしょうか?
移動の考え方を変えてみる
身土不二(しんどふじ)
食に関して言えば、「身土不二」という考え方があります。
その土地で採れる食物は、その土地の気候風土に合ったものであるため、
その土地に根ざす人々の身体にも合うものである。
暑い地域で採れる野菜フルーツは、身体の熱を下げる。(陰)
逆に寒い地域で採れるものであれば、身体を温めてくれるのです。(陽)
つまり言うなれば、
地産地消を行っている限り、
身体や環境に合った物が常に手に入るようにできている。ということです。
そもそも、移動などしなくても良かったのです。
近くにある物は目もくれず、わざわざ沢山の労力を使って、
自分の身体に合いもしない食物を、言われるがままに有り難がって取り入れる。
これは、非常に残念なことだと感じます。
では、移動は悪なのか?
いいえ。移動すること全てが悪などと申し上げたい訳ではありません。
なぜならば、距離の程度問題はあるにせよ、海のある土地で作られる塩は、平地や山間地に必ず移動する必要がありそうですし、逆に塩害によって農作物できにくい地域には平地や山間地から野菜を届けなければいけないと思います。
ただ、その場合でも寒冷地、暖地、温暖地のように同じ気候同士での運搬留めたほうが良いのではないかと考えます。
理由は前述の通り、気候と作物は関係しているものだとのいうことです。
人の移動について
人の移動については、
見識や新たな価値観を発見するという意味で、異文化に触れるための移動は有意義かと思います。
百聞は一見に如かず、百見は一行に如かず。です。
基本の考えや、判断の軸をどのように持つか
要は、どこを基本とするか?という点を、
今までとこれからでは大きく変えていかなければいけないと思います。
それはつまり、
- 食も、材木や鉱物などの素材も、人も、動物も、その土地にあるものを使う。
- よそから持ってこない。
ということを基本として、ブレないように変えていかなければいけないという事です。
その土地、その土地にあるもので出来ることをする。まずはそこから。
もし、その土地に無いがゆえにできないことがあるとすれば、次は「諦める」「しなくてもよかった事だと理解する」という方向で考えるのが良いのではないでしょうか。
もし、その土地に無いがゆえにできないことがあるとすれば、次は「諦める」「しなくてもよかった事だと理解する」という方向で考えるのが良いのではないでしょうか。
その上で、あくまでもこれらの流れを経た上で、どうしても必要であれば、他の土地から持ってくる。
この考え方を続ければ、より継続可能な世界に近づいていくのではないでしょうか?
まとめ
今回、皆様にお伝えしたかったことは、簡潔にまとめると以下の3点です。
- 早く遠くへ移動する(させる)ことに価値を感じすぎないようにして頂きたい。
- お金が関係する以上「便利さ」や「ステータス」というのは意図的に作られた虚構であり、不都合な真実が隠されているので注意して頂きたい。
- 何が本当に必要で、しなくても良かったことは何なのかを改めて考えて頂きたい。
以上です。
また別の記事でもお目にかかれることを、願ってやみません。
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